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9/27に、「八代市西部多目的集会施設」にて、#チームうと のメンバーと一緒に「お茶処」を開催させて頂きました。

避難所で避難生活から、仮住まい(応急仮設、みなし仮設)に移られた方々とお会いして、簡単ではありますが、冷たいお茶や、宇土や竜北から買っていったお菓子、果物をご提供させて頂き、いろいろな会話を楽しませて頂きました。

避難所となっていた八代総合体育館からうつられた方も多く、総合体育館にお邪魔させもらったときに会った方々もいらっしゃって、久々の再開がとてもうれしかったです。(私達を覚えて頂いていることに感謝)

 

応急仮設に住んでいらっしゃる方々

八代市では、豪雨災害で被災された方に向けて八代市内の2箇所に、応急仮設住宅を提供されています(「令和2年7月豪雨」による応急仮設住宅の建設について[八代市])。

その中の一つの入居が始まっており、この日は住民さんが集まっての話し合いが行われたそうです。そこで、この西部集会所での物資配布の案内があったようで、多くの方が物資を取りにこられました。

  • 木造の住宅はとても温もりが感じられて畳部屋もあるので、これまでの体育館での避難所生活に比べて、幾分かはゆっくりとした睡眠を取ることができるようになった。
  • 一人暮らし世帯で、1DKの間取り。ゆとりのあるスペースがないので、無駄なものはほぼ置くことができない。(お皿の物資を選ばれているときに「ほんとうに最低限のお皿しか持っていけない」とおっしゃっていました)
  • ロフト設計になっているけど、高齢者の方々はおそらく危なくて使えないかも
  • 日常生活で出るゴミ等の置き場所がなく、困っている
  • みんな坂本町からの住民の方々が集まってきているが、同じ坂本町といえど地区が違う人たちもいらっしゃるので、初めて顔を合わせる人たちが多い。

等々のお声が聞こえました。

仮設住宅の設計の話など、今回は「木造住宅」という大きな変化がありましたが、間取りや設計の部分でのお話は熊本地震のプレハブ仮設でもよく聞かれたことばです。

設計費や設計スペースの問題で制限はあるのでしょうけど、いざ住んでみると、どんどん細かい課題が出てくるようです。設計自体を見直すことはできないので、こういった話の中から、なにか少しでも毎日の生活での課題が解決されるような物やアイデアを考えていきたいなと思いました。

 

みなし仮設に住んでいらっしゃる方々

八代市内に賃貸を見つけて「みなし仮設」として住んでいらっしゃる方ともお話させて頂きました。八代市が準備する応急仮設住宅は約40戸。坂本町で被災された世帯の数のことを考えると、かなり多くの方々が「みなし仮設」の選択をされていらっしゃるのだと思います。

熊本地震でも「埋没」というキーワードで大きな課題が出た、「みなし仮設」。支援の手がどんどん離れていってしまうので、私達もとても心配しています。

 

今回こられたのは女性3名。災害前はすぐ近所に住まわれていた仲良し3人組だそうです。でも今はバラバラ。同じ八代市といってもとても広いですので、皆さん遠くの場所に住まわれているようです。ただ、今回は電話で連絡を取り合われたのでしょうか、一台の車で乗り合わせていらっしゃっていました。久々の再開も喜んでいらっしゃいました。

 

お話をお伺いすると、やはり「環境の変化」に大きなストレスを感じてらっしゃる感じがしました。自然豊かな坂本町。特にこの季節は風も気持ちよく、窓を開けると美味しい空気が入ってきたそうです。でも今の住まいは八代市内(10万人都市)。坂本町とは大きく違う住まい環境になっているようです。さらに高齢の方も多くみなし仮設にいらっしゃると思います。同じような感覚を感じられていたら、、、、と考えるととても心配です。

 

 

今回お邪魔させて頂いた「八代市西部多目的集会施設」は八代市から坂本町に入って一番手前に位置しています。八代市に移られた方も簡単に来れますし、坂本に行くときに必ず近くを通ります。そんな意味で、この場所が、「仮住まい(応急仮設、みなし仮設)」をされている皆様の「集いの場」の一つとして活用されるといいなと思っていました。しかし、この場所自体も水害にあっており、2020年10月から修繕作業に入るようです。

 

避難所での生活を続けている方、応急仮設住宅に引っ越された方、みなし仮設に引っ越された方、避難はせず在宅での生活を続けている方、災害からまもなく3ヶ月になろうとするこの時期、住まいの状況は多岐に渡っています。困られていることもそれぞれ、これから必要になってくる支援もそれぞれ。
 

小さな話を聞きながら、できることを一つ一つやっていきたいと思います。

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風は少し強かったですが、この日の球磨川もとても素敵でした。

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2020年9月13日、八代市坂本町藤本地区で開催された「住まいと暮らしの相談会+α」にて、会場設営と、「お茶の時間」のお手伝いをさせて頂きました。

八代から219号線を入って、橋を渡り坂本地区から少し奥にはいったところが藤本地区。浸水被害は大きく、被害が多かった家屋は床の板接ぎまでは終わっても、そのまま手つかずの状態が多く残っている地区です。少し近隣を歩きましたが、まだ人も多くは住まわれていないような印象を受けました。

 

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熊本地震のときに、「みなし仮設向けの支援活動」として行っていた「つながるCafe」のタペストリー

今回は趣旨は少し違いますが、少し雰囲気づくりになるかな?と思い、入り口に掲げさせてもらいました。

 

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入り口付近にテーブルをおき、前日に益城のGreentea.labでご購入させて頂いた、ティーバッグを使ったお茶をご提供させて頂きました。

水をいれて、ティーバッグを2包いれて、シャカシャカを振るだけ。簡単に本格的なお茶を楽しむことができます。

 

参加された住民の方、相談員として来られていた方に、お菓子と一緒にお茶を楽しんでもらいました。

 

この場所では「理学療法士」さんも来てらっしゃっており、リハビリテーションをしながらの会話を参加された住民の方々も楽しまれていました。

私達は、終始何気ない日常の話をする時間となりましたが、住民の方の笑顔がとても印象的でした。

 

そんな中でも、心のなかでは、これからの住まいのこと、暮らしのこと、いろいろと悩みは付きないと思います。

 

まずはお話から。ちょっとした癒やしの時間を作れればと思っています。

 

 

 

 

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令和2月豪雨から間もなく2ヶ月が経とうとしています。

これまで現地に足を運び、見てきたこと、聞いてきたこと、そして、これからに向けた考えなければいけないこと、等々ここで少しまとめたいと思います。

(ただし、記載の内容には主観が大きく入りますのでご注意ください。)

 

被災地の復旧作業こと

 今回の豪雨災害、被災の場所が非常に広範囲ですね。球磨川流域の人吉、球磨、芦北、坂本。私達も、この2ヶ月間で、すべての地域を回らせてもらいましたが、ほんとうに被害が広範囲であることを、感じています。

 そんな中で、被害からの復旧の状況に多いな地域差が出ていることを感じています。2ヶ月たった現在「あ、ここは少しずつだけの作業が進んでいるな」と感じるところもあれば、全く手つかずの状況もあり。今回本当に「集落単位」というのを強く感じています。大きな原因は、橋の崩落、土砂による道の寸断ですね。道の寸断がされているところは、全くもって作業に入ることができない。「コロナによる作業者の数」というのも大きな問題となっていますが、道路の復旧がとてつもなく大きな影響を与えることを改めて感じました。

 ただ、ここで気をつけなければいけないことは、見た目上「綺麗になっているな」と感じるところも、それはあくまでも「表面的」であること。見た目は綺麗になっていっても、家の中の作業は全く。まだまだ住民の方がもとの生活を送れる状態ではありません。車で通るだけでは普及作業の状況は全くつかむことができません。これは本当に気をつけなければいけないこと、水害の被害の恐ろしさを感じました。

 水害に会った家は本当にざくっと、「泥出し」→「浸水したところの板はぎ(床、壁はもちろんのこと場合によっては天井も)」→「カビ取り」→「乾燥」までを最低限やらないと、次の作業に移れません。地震と比べてはいけませんが、一軒の民家をリフォームできる状態にするまでに、とてつもない作業が係ります。

 また、人でもそうですが「重機での作業」が大きなポイント。いくつかの現場でみさせてもらいましたが「重機での作業ができるか、できないか」が作業効率にう雲泥の差がでます。そのため、現地で活動されている団体の方は今回、重機のオペレータの資格をとりに、行かれていますね。ただ、重機を使うためには「リース代、燃料代」がかかります(しかも、かなりの金額)。各地での支援団体に対して、この部分での資金援助も大きな鍵となることも感じました。

 

直接被災されていない地区への影響のこと

 今回の豪雨の量はものすごかったですが、被害の多くは球磨川の氾濫によるもの。河川に近いところの地区の被害は甚大ですが、山の上の流落等では大きな被害がなかったところもあります。では、そこへの支援は必要ないのか?

 物資支援の活動の中で見えてきたことですが、全くそうではありません。

 球磨村の山間部に一度物資を運びにいきましたが、「球磨川の橋の崩落」によって、大きな日常のルート変更が余儀なくされ、それにより「買い物難民」が加速していることがわかりました。高齢化が進む日本では、「買い物難民」の問題が言われていますが、今回の災害によって「一気に加速した地域」が出ているようです。これは芦北町からの情報でも言われていました。

どうすればいいのか?

 いくつかの地域では移動販売の支援も始まっていますが、これがどこまで継続できるのか?どこまでカバーできているのか?心配です。

「災害は特別なことではなく、日常の課題が顕在化するもの」この言葉を身にしみて感じました。

 

傾聴・相談のこと

 避難所や、被災地で何度か「お茶の時間、専門相談」の活動に参加させて頂きました。ちょっとしたきっかけで話を始めると、ほんとうにどんどんと話をして頂き、とてもありがたい気持ちになりました。地震のときもそうでしたが、まずは「起こったこと、今の生活のこと」誰がが話を聞くことが、まず最初の第一歩であることを感じました。

 そんな中で、いろいろな話につながってきます。「被災にあうと、申請書類等の山でもうそれだけで頭がいっぱいになる。今の生活を送ることでいっぱいいっぱいで、先のことなんて全く考えられれない。そもそも、何が困っているのかさえ分からない」

 現状の公的支援の枠は罹災証明を中心として「世帯」に向けた支援制度で組まれており、「個人の事情」はあまり考慮に入れられていません。一人ひとりに向き合って話を聞くと、ほんとうに一人一人に対して耳を傾けることが大事であることを感じました。

 今、各地で「専門相談員による専門相談」が始まっています。家のこと、お金のこと、これからの生活のこと、時には法的なこと、専門相談員でしか対応できないことが本当に多くあります。あまり気負いをせず、お困りの方がいらっしゃれば、ぜひ、窓口に行ってほしいと感じています。それと合わせて「民間」としての抱合せ活動もとても大事であるなと感じています。「相談」というと、どうも構えてしまう、そんな構えを少しでも緩めるために、例えば、お茶を飲みながら談笑したり、ちょっとした食事をとりながら、ちょっとした催し物を入れ込みながら、こういった被災者の方の心をほっと和ませる空間、時間づくりが「民間」としてできることやれることであると強く感じています。

 

物資のこと

今回は、「チームうと」の一活動メンバーとして、物資支援活動にも大きく関わり、現在も継続中です。

被災地へとつないだ物資は、以下の大きく2種類です。

  • 被災された方々向け:生活品、日用品、衣類、食料、飲料等
  • 被災地で活動する支援者向け:作業道具

被災地(八代、人吉、芦北、球磨、そして天草)から若干(車で1時間~1時間半ほど)離れた場所での物資拠点でしたので、「本当に機能するのか?」という不安がありましたが、蓋をあけてみると、とても多くの方に活用して頂いています。(それには、もちろん「チームうと」スタッフの被災地とつなぐ相当な努力があります)

 今回、物資に関して、「物資は十分ある!」「いや足りていない!」この2つの相反する声が聞かれました。全てにおいて「情報」ですね。SNSがここまで広がった現代において、SNSは本当に大きな情報発信ツールとなりましたね。今回の災害においててもSNSの中でもFacebookがやはり主流だった印象です。Facebook上では本当にたくさんの情報が流れていました。流れ過ぎといっていいほどくらい・・

 

 被災者の人たちにどれだけの情報が行き届いていたのか?

 

 今回の被災地は、熊本の中でも特に「高齢化」問題が出ている地域です。ネット社会となった現代、今回そこへの依存を改めてその危険性を感じました。(もちろん、物理的な「ネットワーク障害」の危険性もあり、ある地域ではインターネット通信がほぼ使えなくなった地域もありました)

  そんな中で今回改めて気づいたのが「日頃のつながり・お友達関係」。女性の方々のアナログでのつながりが本当に重要であることを感じました。チームうとの拠点に、被災地からわざわざ物資を取りにこられたのも、そのつながりからでした。日常生活の中で、いかに地域の人たちとの関係性をつくっておくのか、地域での活動の延長線上に、如何に他の地域のひとたちとつくっておくのか。これは、いざ自分が被災したときのことを想定したときにでも、日常の過ごし方を考えるほんとうにいいきっかけになったと思います。

 少しでも物資が行き渡っていない人たちに、物資をお渡しすることができて本当によかった・・・・

 ただ、今の今でも物資に困っている方たちもたくさんいらっしゃいます。また、避難所から出られてプレハブ仮設、みなし仮設に移られたかたは、一気に支援の網から外れてしまいます。生活の再建はまだまだ。先の生活が見えてくるまでは、「物」の支援もまだまだ必要であると感じます。

 

 また物資に関しては、今回も新たな問題もいくつか出てきましたね。「物資のあまり」

善意の気持ちでの動きですので、これは非常に難しい問題なのですが、「物資拠点」を実際に動かしてみると、ものすごく「人員」が必要であることがわかります。被災地ど真ん中で、お手伝いの人が集まりにくい場所ではとても大変であったと思います。

 物資拠点では、「荷物の受け取り」「仕分け」「出し先との連絡」「配達者の確保」「マッチング」等々、いろんな作業が必要です。特に衣類関係。ダンボールでたくさん届けて頂くのですが、もちろんそのままではお届けするわけにはいかず、一着一着見て、「取りに来られる方が選びやすいように」仕分ける必要があり、これに膨大な時間を要します。また、非常に心苦しいのですが、被災者には渡せない(ゴムが伸び切っているとか、、破けているとか)物資が届くこともあります。「被災」とはいえど「なんでもかんでもいる!」という状況にはならないのが今の日本です。「もし自分が被災したとして、自分だったらもらってうれしいか?」の気持ちを持った物の流通になると、余計な負担もかからずにすむのではないかと思いました。

 人手問題の解決にもなりますし、、あと最悪の場合、物資が余ってしまうと、「処分費」を団体がかぶらなければいけない自体にもなります。

 

 

支援のつながり

 熊本地震のときから「ネットワークグループ」という言葉を使わせてもらっていました。これはなにかというと、「個や団体でできる支援はわずか。いろんな人たちがつながり会うことで、点が線となり面となる」これが支援が支援となる一番大事なことであると感じたからです。

 被災者の方と直接つながっている方もいれば、つながっていない方もいます。支援できるものを持ってらっしゃる方もいれば、そうでない方もいる。専門的な知識を持っているかたもいれば、そうでない人もいる。どれか一つでも支援にはなりにくいと思っています。大事なことは「それぞれができることをつないでいくこと」。

 一つの団体が大きくなる必要はまったくないと思います。(大きくなることで、意見の相違が生まれたり、「団体運営」といった新たな視点を持たなければいけなくなっていきます)。もちろんそういった団体がたくさんうまれていくと、支援の力も大きくなれますが、そこではなく「つながりあうこと」で支援の力を大きくすることができます。被災者が「困っている声をあげること」が重要であることと同じように、支援団体・個人も「自分はこれはできるけど、これはできない、一緒にやりませんか?」と声をあげて繋がり合っていくとが大事であると感じました。

 

未来への光

 まだまだ被災地が大変な中、「未来」という言葉を使うのも難しいですが、今回、いろんな地域の方と触れ合わせて頂き、根源は改めて「地域への愛」であると感じました。繰り返しになりますが、今回の被災にあった球磨川流域は、「自分たちの住んでいる人が自らの意思で選んで住んでいる」という人たちが多い地域であると感じています。(失礼ですが、、決して住んでいく中で決して「便利」とはいいにく)

 なにをもって「便利なのか」という考え方もありますが、本当に、自然豊かで、その自然とともに「暮らし」を営んでいるところです。現地で支援活動をされている方からも「ここにね、新たな遊び場所をつくろうと思ってる!」とまだまだ泥かき作業まっ只中の状態で、この言葉を話してくれた人がいました。この言葉にどれだけの人が勇気づけられることか。もちろん、買い物のこと、病院のこと、人が暮らしをしていく中で乗り越えなければいけない課題はたくさんあるでしょう。でも、こうやって、未来の地域に向けた気持ちが一つ一つうまれていくることが、今日の力になると感じました。

 支援活動を通して、「地域力」の大事さを改めて感じています。

 

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令和2年7月豪雨災害支援活動への助成を頂きました。

また今回被災地となった、市町村への義援金贈呈に同席させて頂き、各市町村(八代市、球磨村、人吉市)のトップの方から被災地の状況のお話をお伺いすることができました。

自治体は発災後から被災地の復旧に向けて休みなく動かれていると思います。本当に頭が下がります。 熊本地震からのご縁で今回の災害に向けてもご支援頂き、心より感謝致します。 当団体としては、熊本地震によりつながった皆様、今回の豪雨災害で新たにつながった皆様と力を合わせ「災害からの新しい地域づくり」の目線で、今回お預かりしたお金を大切に活用させて頂きたいと思っております。

被災地はまだまだ手つかずの状況の地区もあります。まだまだ先の事を考えることすら考えるどころではない方々も多くいらっしゃいます。

そんな中で、地元住民のため、地域のため日々奮闘されている支援団体がたくさんいらっしゃいます。

私達は、そういった方々とつながり、被災された住民のため、住民がこれからも「暮らしていく」地域のため、少しでも力になれるようがんばります。 今後ともよろしくお願い致します。

 

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(写真)八代市にて。地図を使った被災地の確認。

 

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(写真)球磨村役場からの写真。災害の傷跡が生々しく残っています。

 

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(写真)松岡人吉市長との意見交換の様子

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熊本地震後の視察として新潟のとある避難所施設にお邪魔させてもらいました。

そこは普段は子ども向けの遊びの施設。

ただし、緊急時は物資拠点や避難所に活用されます。 そこで印象に残っていた一言があります。 「避難所は平時での活用が大事。スタッフさんと顔見知りになっていたり、普段から足を運ぶ場所であることが大事。緊急時の大変なときに、使い慣れている設備であったり、顔見知りの人たちがいることで避難生活の過ごし方が変わる」 熊本でも熊本地震後、防災施設が新しくいくつもできました。 

そんな中で、先日、「#チームうと」で準備した支援物資を、球磨村の山間部の三ヶ浦地区にある「#田舎の体験交流館さんがうら」避難所に運ばせてもらいました。

人吉から入っていったのですが、一番近いアクセスのための道路は通行止め、橋も壊れているため、一勝地からの周り道。山を抜ける道路で離合もやっとの道幅で、アクセスがとても大変な状況でした。 GoogleMapでなんとか到着。施設長に暖かく迎え入れて頂き、物資をお届けさせて頂きました。(ちょうど、赤十字の方もいらっしゃって健康管理に関しても見ていかれていました)

小学校跡を活用した施設で、普段は田舎体験等の宿泊や、高齢者の方々の交流施設として活用されている場所でした。教室を活用した宿泊部屋、そして新たなに作られた入浴施設や選択施設、食事施設等の設備がありました。ここで数世帯の方が避難生活を送られているそうです。 廃校の活用、平時の活用がとてもいきているなと感じました。

ただし、問題はアクセス。数日前に新聞にも取り上げられていましたが、買い物に行くためのルートが変わったために、高齢者にとってはとても大変な状況となっていました。今は施設長さんが定期的に避難者の要望を聞き、まとめた買い物に行かれているようです。この状況はおそらく、ずっと続くと思われます。 施設長の方も、被災されているのにご自身の時間はとらず、ほぼ全ての時間をこの避難所の方々に向けた時間に使われているとのことでした。こういった方が避難所を管理されているということは、どれほど安心できることか。

避難生活のサポート、買い物のサポート、今後も解決すべき課題が大きいですね。実は高齢化社会につきつけられた課題がここに凝縮されている感じもしました。 今後、避難所は閉鎖されて、仮住まいへの転居が避難者には求めら得てきます。

引っ越し作業も被災者にとってはとても大きな負担です。精神的にも肉体的にも。 この「さんがうら避難所」は避難所閉鎖後も、ここで仮住まいとして継続して利用できるように申請されているようです。なんとしてでも、ここは認められてほしいですね。 まだとても早い話ですが「防災、平時と緊急時の融合」という視点でとても学びの多い場所と活動でした。 山奥にあることから、支援の手がなかなか届いていないようです。細かくいくのもなかなか難しいですので、球磨支援に行かれるときに、一つ頭において頂き、いくつかの団体・個人が連携して支援に入れるといいですね。

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