坂本町で起こった奇跡

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2020年11月1日活動報告
熊本県建築士会八代部主催の「住まいの相談会」に、「チームうと」「熊本友の会」の皆様と強盗で、お茶処と冬物提供のお手伝いをしてきました。

 

みんなで力を合わせて「輝かしい未来」を

お手伝いの中で、素敵なお話を聞かせてもらいましたのでご紹介させて頂きます。

最初にお見せした写真。この花をご存知ですか?

花の名前は、「アンデスの乙女」

花言葉は、なんと「輝かしい未来」 

 

今回お邪魔した「八代市民球場仮設」の一角につくられた小さな畑の中で、綺麗な花を咲かせています。

この花は、豪雨災害時には、この仮設に住む住民の方のお庭に咲いており、災害を耐え抜いたそうです。そして、住民の方が、想いを込めて、これから生活を送るこの仮設住宅に、移植されたとのこと。

 

なにか強いメッセージを感じました。

 

これから続く生活に向けて

今回は、坂本町から仮設住宅、みなし仮設に移られた方をお呼びして、建築相談会と、建築士会に岡山県から提供された冬物衣料の提供のお手伝い。

当日は、八代市民球場仮設の方、もう一つの仮設である八代市古閑中町仮設団地、そしてみなし仮設の方が多く訪れてらっしゃいました。

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冬物衣料は、皆さんがお気に入りの洋服を見つけてもらいやすようにディスプレイと洋服選びのお手伝い、そしてせっかく来て頂いた方にゆっくりとお話の時間をとってもらうための「お茶処」をスタッフで分担して実施しました。

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今回は、熊本から「熊本友の会」の方にもご協力頂いて、

  • 手作りのお菓子(かりんとう、パウンドケーキ)
  • 煮豆

も、お茶のおともとしてご提供。

そして、友の会さんが自作されている「なべ帽子」もご提供。

 

お陰様で、ちょっと豪華な「お茶処」となりました。

 

感じた「坂本町住民」のすごさ

熊本地震のときも同様の活動のお手伝いをさせて頂いておりましたが、そこでは「仮設住宅」と「みなし仮設」の壁をなんとなく感じることがありました。

「建設型」の場所には「みなし」の方はなんとなく足を運ばない。一部しか私達は見えてはいませんが、なんとなく、そこには大きな壁があるような感じがしました。

 

しかし、今回は、いろんな方がいらっしゃっていました。主催者のがんばりなのか、それとも住民同士の呼びかけなのか。なにかうれしい気持ちになりました。

 

また、この「八代市民球場仮設」では住民自治の動きも進んでおり、「自治会長」に相当する方も決まっておりました。

ご自身も大変な中の中、今回の企画に対して、準備から呼びかけ、そして片付けまで全てお手伝い頂きました。車の駐車に関しても。

こういった企画を実施する上では、どうしても住民さんとの接点が重要になってきます。そういった役割を果たしてくれて、とても助かりました。

 

八代でも「地域支え合いセンター」が立ち上がり、仮住まいをされている方に対しては訪問事業が始まるようです。とても大切な活動なのですが、人員の問題等もあり、どうしても限界があります。

そんな中、こういって住民を取りまとめて頂ける形、そして住民同士の相互の関係性があると、なにかあったときにとても大きな力となりますね。

「公助」と「共助」この両方の連携が今後はさらに必要になってきます。

 

住まいは変われど、自分らしい生き方を

今回、ふと仮設住宅の方を見させて頂いて、とてもお届いたことがあります。

それは、「自分らしい生き方」を少しずつでも作り上げられていること。

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衣装ケースを活用して、その中に袋を入れての野菜栽培。

 

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建物の一角の空きスペースを使っての野菜づくり。(ここだけでなく、他に数カ所)

 

熊本地震でいくつかの仮設住宅を回らせてもらいましたが、ここまでのことをされているのは初めてみました。

まさに、坂本町で長年暮らしてきた生活。土とともにある暮らし。生活再建の中で大変な中ではありますが、「生きる力」を感じさせてもらいました。

 

私は、畑がある暮らしには大きな大きな効果があると思っています。

もちろん、食べ物を得ること、その人自身の生活リズムを作るためとかもあるとは思いますが、そこから生まれる「人の交流」

畑に出て、土の手入れをする、野菜の手入れをする。そこでは「外で過ごす時間」が生まれます。すると、そこを通る人との会話が生まれ、そこで交流が生まれる。

 

私自身も家の前に畑があるところで生活していますが、「畑」にはそんな「人の交流」を生む力があると思っています。

 

この畑を通して、人が交わり、そして一緒の食事が生まれる、いろんな会話が生まれる、次に向けた生活のパワーが生まれる。そんな未来を創造しました。

 

流された思い出

 ある80代の女性が家から一枚の写真を持ち出してきてくれました。

数十年前に写真屋さんでとった、きれいな家族写真。立派な着物きてらっしゃいました。

そしておっしゃったのが、「この着物は流れてしまった」

 

とても思い出のある着物だったようです。着物は立派なタンスにしまってあったそうです。1階に。

首元まで水がくるまではなんとか1階部分にいたそうです。そこで見た光景が、畳が水で立ち上がり、タンスも水に浮かぶ様子。

そこからなんとか2階に避難したそうです。

その後タンスは家の中にあったけど、泥がつまり、引き出しは開かない状態で、、、捨てざるをえなかったとのこと。

 

この日は少し笑いも交えて話してくれましたが、どれだけつらかったことか。

水害でいろんなものが流されてしまいました。そして、なにより一番大きかったのが「思い出」。多くの方が多くの「思い出」を流されてしまっています。

 

改めて今家の中を見渡してみて、それが一夜でなくなってしまう。想像を絶します。

 

 

「みなし仮設」で起こる孤立

 今回多くの方は、建設型仮設住民の方でしたが、「みなし仮設」の方も来られており、少しお話をお伺いすることができました。

熊本地震の時に感じた「みなし仮設」の方に対する支援不足。

いつも頭の中から離れません。

 

今回お話をお伺いできた方も、やはり熊本地震のときと同じような事をおっしゃっていました。

  • 早く少しでも落ち着いた住まいを確保するために「みなし仮設」を選択した。
  • 住んだのはいいけど、他からの情報が全く入ってこない。支援の手が全くまわってこない。
  • 新しいアパートでの掲示板に「豪雨災害で入居された」と説明があった。あまり特別な感じでみられたくない。(熊本地震時は、「家賃がタダ」ということで、やっかみの言葉を受けたという事例もありました)
  • 近隣住民さんとの関係をどうすればいいかわからない。2年しか住まないという割り切るかどうか・・・
  • 「みなし仮設」に関する契約の進みが悪いのか、まだ自分のお金で家賃を払っている。最終的に家賃台は返ってくるというのは分かっているが、一時的とはいえ、手持ちのお金を払っていくのはつらい。本当に返ってくるのか心配
  • 応急修理制度を使って、なんとか元の家に住める準備を進めている。ただ、、、その制度の金額では、、、なんとか寝るスペース部分を作るしかできない。ただ、寝れるスペースさえ確保できれば、お風呂は外にいけばいいし、、なんとか住むことはできる。

 

坂本町では、いろんなイベントや交流会が始まっています。可能な限り、そのイベントを紹介し、私達もお手伝いで入るようにしています。

そこからなにか次の糸口が見いだされて、「みなし仮設」の方に少しでも手を差し伸べれればと思います。

 

供与期間「2年」という壁

 今回、多くの方がら「2年でなんとか」という言葉が出てきました。この2年というのは仮設住宅の供与期間。熊本地震では最長4年まで延長されました。ただ、それも期限数ヶ月前になってからの決定。住民の方は、「ここから出る先をなんとか考えなければいけない」を考えなければいけません。仮設に入居してからはまだ一ヶ月。この段階で、住民の方からこの言葉が出てくるとは正直驚きました。それほど、住民さんにとっては「2年」という数字が重くのしかかっていることが感じられました。

坂本に戻りたい、でも戻れる状態ではない、戻れないとしたらどこの土地を選ぶのか・・・・

住民さんの悩みはつきません。

 

 

最初に書かせてもらった「輝かしい未来」

皆様にとって、少しでも「輝かしい未来」が作っていけるよう。

微力ながら活動を行って参ります。