令和2年7月豪雨 から2ヶ月

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令和2月豪雨から間もなく2ヶ月が経とうとしています。

これまで現地に足を運び、見てきたこと、聞いてきたこと、そして、これからに向けた考えなければいけないこと、等々ここで少しまとめたいと思います。

(ただし、記載の内容には主観が大きく入りますのでご注意ください。)

 

被災地の復旧作業こと

 今回の豪雨災害、被災の場所が非常に広範囲ですね。球磨川流域の人吉、球磨、芦北、坂本。私達も、この2ヶ月間で、すべての地域を回らせてもらいましたが、ほんとうに被害が広範囲であることを、感じています。

 そんな中で、被害からの復旧の状況に多いな地域差が出ていることを感じています。2ヶ月たった現在「あ、ここは少しずつだけの作業が進んでいるな」と感じるところもあれば、全く手つかずの状況もあり。今回本当に「集落単位」というのを強く感じています。大きな原因は、橋の崩落、土砂による道の寸断ですね。道の寸断がされているところは、全くもって作業に入ることができない。「コロナによる作業者の数」というのも大きな問題となっていますが、道路の復旧がとてつもなく大きな影響を与えることを改めて感じました。

 ただ、ここで気をつけなければいけないことは、見た目上「綺麗になっているな」と感じるところも、それはあくまでも「表面的」であること。見た目は綺麗になっていっても、家の中の作業は全く。まだまだ住民の方がもとの生活を送れる状態ではありません。車で通るだけでは普及作業の状況は全くつかむことができません。これは本当に気をつけなければいけないこと、水害の被害の恐ろしさを感じました。

 水害に会った家は本当にざくっと、「泥出し」→「浸水したところの板はぎ(床、壁はもちろんのこと場合によっては天井も)」→「カビ取り」→「乾燥」までを最低限やらないと、次の作業に移れません。地震と比べてはいけませんが、一軒の民家をリフォームできる状態にするまでに、とてつもない作業が係ります。

 また、人でもそうですが「重機での作業」が大きなポイント。いくつかの現場でみさせてもらいましたが「重機での作業ができるか、できないか」が作業効率にう雲泥の差がでます。そのため、現地で活動されている団体の方は今回、重機のオペレータの資格をとりに、行かれていますね。ただ、重機を使うためには「リース代、燃料代」がかかります(しかも、かなりの金額)。各地での支援団体に対して、この部分での資金援助も大きな鍵となることも感じました。

 

直接被災されていない地区への影響のこと

 今回の豪雨の量はものすごかったですが、被害の多くは球磨川の氾濫によるもの。河川に近いところの地区の被害は甚大ですが、山の上の流落等では大きな被害がなかったところもあります。では、そこへの支援は必要ないのか?

 物資支援の活動の中で見えてきたことですが、全くそうではありません。

 球磨村の山間部に一度物資を運びにいきましたが、「球磨川の橋の崩落」によって、大きな日常のルート変更が余儀なくされ、それにより「買い物難民」が加速していることがわかりました。高齢化が進む日本では、「買い物難民」の問題が言われていますが、今回の災害によって「一気に加速した地域」が出ているようです。これは芦北町からの情報でも言われていました。

どうすればいいのか?

 いくつかの地域では移動販売の支援も始まっていますが、これがどこまで継続できるのか?どこまでカバーできているのか?心配です。

「災害は特別なことではなく、日常の課題が顕在化するもの」この言葉を身にしみて感じました。

 

傾聴・相談のこと

 避難所や、被災地で何度か「お茶の時間、専門相談」の活動に参加させて頂きました。ちょっとしたきっかけで話を始めると、ほんとうにどんどんと話をして頂き、とてもありがたい気持ちになりました。地震のときもそうでしたが、まずは「起こったこと、今の生活のこと」誰がが話を聞くことが、まず最初の第一歩であることを感じました。

 そんな中で、いろいろな話につながってきます。「被災にあうと、申請書類等の山でもうそれだけで頭がいっぱいになる。今の生活を送ることでいっぱいいっぱいで、先のことなんて全く考えられれない。そもそも、何が困っているのかさえ分からない」

 現状の公的支援の枠は罹災証明を中心として「世帯」に向けた支援制度で組まれており、「個人の事情」はあまり考慮に入れられていません。一人ひとりに向き合って話を聞くと、ほんとうに一人一人に対して耳を傾けることが大事であることを感じました。

 今、各地で「専門相談員による専門相談」が始まっています。家のこと、お金のこと、これからの生活のこと、時には法的なこと、専門相談員でしか対応できないことが本当に多くあります。あまり気負いをせず、お困りの方がいらっしゃれば、ぜひ、窓口に行ってほしいと感じています。それと合わせて「民間」としての抱合せ活動もとても大事であるなと感じています。「相談」というと、どうも構えてしまう、そんな構えを少しでも緩めるために、例えば、お茶を飲みながら談笑したり、ちょっとした食事をとりながら、ちょっとした催し物を入れ込みながら、こういった被災者の方の心をほっと和ませる空間、時間づくりが「民間」としてできることやれることであると強く感じています。

 

物資のこと

今回は、「チームうと」の一活動メンバーとして、物資支援活動にも大きく関わり、現在も継続中です。

被災地へとつないだ物資は、以下の大きく2種類です。

  • 被災された方々向け:生活品、日用品、衣類、食料、飲料等
  • 被災地で活動する支援者向け:作業道具

被災地(八代、人吉、芦北、球磨、そして天草)から若干(車で1時間~1時間半ほど)離れた場所での物資拠点でしたので、「本当に機能するのか?」という不安がありましたが、蓋をあけてみると、とても多くの方に活用して頂いています。(それには、もちろん「チームうと」スタッフの被災地とつなぐ相当な努力があります)

 今回、物資に関して、「物資は十分ある!」「いや足りていない!」この2つの相反する声が聞かれました。全てにおいて「情報」ですね。SNSがここまで広がった現代において、SNSは本当に大きな情報発信ツールとなりましたね。今回の災害においててもSNSの中でもFacebookがやはり主流だった印象です。Facebook上では本当にたくさんの情報が流れていました。流れ過ぎといっていいほどくらい・・

 

 被災者の人たちにどれだけの情報が行き届いていたのか?

 

 今回の被災地は、熊本の中でも特に「高齢化」問題が出ている地域です。ネット社会となった現代、今回そこへの依存を改めてその危険性を感じました。(もちろん、物理的な「ネットワーク障害」の危険性もあり、ある地域ではインターネット通信がほぼ使えなくなった地域もありました)

  そんな中で今回改めて気づいたのが「日頃のつながり・お友達関係」。女性の方々のアナログでのつながりが本当に重要であることを感じました。チームうとの拠点に、被災地からわざわざ物資を取りにこられたのも、そのつながりからでした。日常生活の中で、いかに地域の人たちとの関係性をつくっておくのか、地域での活動の延長線上に、如何に他の地域のひとたちとつくっておくのか。これは、いざ自分が被災したときのことを想定したときにでも、日常の過ごし方を考えるほんとうにいいきっかけになったと思います。

 少しでも物資が行き渡っていない人たちに、物資をお渡しすることができて本当によかった・・・・

 ただ、今の今でも物資に困っている方たちもたくさんいらっしゃいます。また、避難所から出られてプレハブ仮設、みなし仮設に移られたかたは、一気に支援の網から外れてしまいます。生活の再建はまだまだ。先の生活が見えてくるまでは、「物」の支援もまだまだ必要であると感じます。

 

 また物資に関しては、今回も新たな問題もいくつか出てきましたね。「物資のあまり」

善意の気持ちでの動きですので、これは非常に難しい問題なのですが、「物資拠点」を実際に動かしてみると、ものすごく「人員」が必要であることがわかります。被災地ど真ん中で、お手伝いの人が集まりにくい場所ではとても大変であったと思います。

 物資拠点では、「荷物の受け取り」「仕分け」「出し先との連絡」「配達者の確保」「マッチング」等々、いろんな作業が必要です。特に衣類関係。ダンボールでたくさん届けて頂くのですが、もちろんそのままではお届けするわけにはいかず、一着一着見て、「取りに来られる方が選びやすいように」仕分ける必要があり、これに膨大な時間を要します。また、非常に心苦しいのですが、被災者には渡せない(ゴムが伸び切っているとか、、破けているとか)物資が届くこともあります。「被災」とはいえど「なんでもかんでもいる!」という状況にはならないのが今の日本です。「もし自分が被災したとして、自分だったらもらってうれしいか?」の気持ちを持った物の流通になると、余計な負担もかからずにすむのではないかと思いました。

 人手問題の解決にもなりますし、、あと最悪の場合、物資が余ってしまうと、「処分費」を団体がかぶらなければいけない自体にもなります。

 

 

支援のつながり

 熊本地震のときから「ネットワークグループ」という言葉を使わせてもらっていました。これはなにかというと、「個や団体でできる支援はわずか。いろんな人たちがつながり会うことで、点が線となり面となる」これが支援が支援となる一番大事なことであると感じたからです。

 被災者の方と直接つながっている方もいれば、つながっていない方もいます。支援できるものを持ってらっしゃる方もいれば、そうでない方もいる。専門的な知識を持っているかたもいれば、そうでない人もいる。どれか一つでも支援にはなりにくいと思っています。大事なことは「それぞれができることをつないでいくこと」。

 一つの団体が大きくなる必要はまったくないと思います。(大きくなることで、意見の相違が生まれたり、「団体運営」といった新たな視点を持たなければいけなくなっていきます)。もちろんそういった団体がたくさんうまれていくと、支援の力も大きくなれますが、そこではなく「つながりあうこと」で支援の力を大きくすることができます。被災者が「困っている声をあげること」が重要であることと同じように、支援団体・個人も「自分はこれはできるけど、これはできない、一緒にやりませんか?」と声をあげて繋がり合っていくとが大事であると感じました。

 

未来への光

 まだまだ被災地が大変な中、「未来」という言葉を使うのも難しいですが、今回、いろんな地域の方と触れ合わせて頂き、根源は改めて「地域への愛」であると感じました。繰り返しになりますが、今回の被災にあった球磨川流域は、「自分たちの住んでいる人が自らの意思で選んで住んでいる」という人たちが多い地域であると感じています。(失礼ですが、、決して住んでいく中で決して「便利」とはいいにく)

 なにをもって「便利なのか」という考え方もありますが、本当に、自然豊かで、その自然とともに「暮らし」を営んでいるところです。現地で支援活動をされている方からも「ここにね、新たな遊び場所をつくろうと思ってる!」とまだまだ泥かき作業まっ只中の状態で、この言葉を話してくれた人がいました。この言葉にどれだけの人が勇気づけられることか。もちろん、買い物のこと、病院のこと、人が暮らしをしていく中で乗り越えなければいけない課題はたくさんあるでしょう。でも、こうやって、未来の地域に向けた気持ちが一つ一つうまれていくることが、今日の力になると感じました。

 支援活動を通して、「地域力」の大事さを改めて感じています。