みなし仮設に住む方々は、自力で探し見つけた民間のアパートを仮設住宅扱いとして生活されています。

その為、行政からは「アパートを自力で見つけ、借りる能力があった人」として、一般的な仮設住宅に住む人々よりも支援の必要が少ないと見なされている一面があります。また世間からも、民間アパートに住めるのだから、一般的な仮設住宅よりも過ごしやすく恵まれているだろうとか、自分でみなし仮設を選んだのだから、多少支援が少なくても仕方ない、などと思われる向きもあると思います。  

 

しかし、本当にそうでしょうか?

 

みなし仮設に生活されている方に話を聞くと、一般的な仮設住宅にも同時に申し込んでいたが、全て落ちてしまった為にみなし仮設になったという人が少なくありません。

自分自身や家族の心身に障害があり、集団生活には適応できないと判断してみなし仮設を選択した、「一般的な仮設住宅に住む人よりも社会的弱者と思われる人々」も多くいます。  

 

地震で民間アパート自体も多く被害を受けた中、競争率が高く、「アパートに空きがある」と聞いて、部屋を見ることもなく契約を決めてしまった人も多くいます。一応部屋を見た人も、じっくり考える余裕などなく、一目見ただけで決めざるを得なかった人がほとんどです。  

このような状況で、偶然近所付き合いに恵まれた人は幸運ですが、そうでない方はかなりのストレスを抱え込むことになります。疎外感、相談相手の不足、騒音、余所者扱い。元々、余震への不安や未来への不安、金銭的不安も絶えないところですから、これらの苦しみは二倍にも三倍にもなってみなし仮設に住む人々を苦しめています。  

 

みなし仮設に住む人々にも、やはり支援の手が必要です。出来るだけ皆さんの力になれるよう頑張っていきますので、これをご覧の方々にも、どうぞご理解と暖かい応援をよろしくお願い致します。

 

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(写真は本文とは関係ありません。写真提供「キロクマ」)

先日訪問したご家庭での伺ったお話です。

昨年の夏頃、娘さんが通学途中の電車内で倒れられ救急搬送されたそうです。原因ははっきりしなかったようですが、被災直後から不眠を訴えられていたとのことで、精神的な要因が大きいものの、栄養面での影響も無くはないのではないかと思われました。

益城町外へ避難されているため、ガソリン代や電車代など、震災前は要らなかった出費に困惑されていました。

また、別の家庭では、被災して衣類がほとんど取り出せなかったため、制服の上に着る冬のコートが無く、それでも学校で指定されているので、買えば1万数千円するとのことで悩んでおられました。

どちらの家庭も経済的な困窮状態の上に、震災被害が重くのしかかっています。

男女の経済格差が解消されない中、養育費を受け取っている離婚母子世帯は、全体の2割程度しかないと言われています。

また、訪問時に、子どもから直接話を聞くことはほとんどありません。親の目から見た子どもの状況を伺いますが、虐待などの深刻なケースでなくとも、子どもが安心して生活できる環境にあるのか気がかりです。

具体的な方策の一つとして、子どもの「駆け込み寺」の必要性も感じています。

少子化の進行は、若者の経済的な困窮に原因があるにもかかわらず、格差は広がる一方です。貧困の連鎖を断つ取り組みが、この国の最優先課題になる日は来るのでしょうか。

 

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(写真はイメージで記事とは無関係です。 提供:キロクマ)

 

親は子を思い、子は親を思う。人は町を思い、町は人を思う。

 

みなし仮設への訪問をスタートさせて3ヶ月半が経ちます。  

 見守り支援を必要とする避難世帯は、これまでの震災において4割程度とされていますが、我々の訪問でも同程度の割合でいらっしゃいます。そんな訪問の中で出会った、ひと世帯のお話です。

 冷え込みが厳しい1月吉日、あるお宅にお邪魔しました。飛び込みで伺ったにも関わらず快く招き入れてくれ、「昨年12月のつながる広場では楽しませて頂きました」とお礼を頂きながら面談がスタート。 地震によってご自宅は全壊、家財道具も殆ど取り出せず。また地震で母が骨折し、数ヶ月入院することに。みなし仮設へは5月から入居したというものの、落ち着いてきたのはここ最近やっと、皆さん大変な思いをされたそうです。

 そんなご家族の仲が大変良いということ。

 我々が何か質問をすると皆さんで顔を見合わせて「あの時はこんなだったね」「あなたはこうだったよ」と語り合う。我々は“話を聞く”でなく、“輪を見守る”ばかり。それがなんとも微笑ましく温かい時間で、自然と長居する形に。復興への道のりは長く厳しいと思うのですが、このご家族であれば最後は笑顔で語り合っているだろうと感じます。

 特に印象深かったのが、父の言葉。「孫がいないので、土地はいずれ我々のものではなくなる。だから、町に譲渡し、災害公営住宅に利用して頂くのはどうでしょう?」との提案を頂きました。実現は難しいかもしれませんが、被災して家財を失った方から頂くと大変勇気付けられるお言葉です。相手を思う気持ちが積み重なって復興を成し遂げられれば、震災前より豊かな町となるだろうと痛感した面談でした。

 そして、そんな家族に絆されて、自分も実家の親に電話しようと決意するアラフォー独身訪問員でした。

〜みなし仮設の期間は二年間、そしてその先〜
 
10月3日に益城町地域支え合いセンターが発足してから3ヶ月が過ぎ、みなし仮設住宅の訪問を不在者宅も含めて約半分程度(全1300強のうち)訪問させていただきました。
 
その中で私が特に感じたことはみなし期間2年間終了時点で行き先(従前地での新築も含む)の決まらない問題を抱えている方が半数以上おられるということでした。
 
 皆さんの要望の中で一番多かったのが、無条件とは言わないがせめて行き先の決まるまではみなしの延長を希望するとのことでした。実際に東日本震災ではみなし住宅の一部のかたが昨年2年間延長され、最大7年間のみなし期間となりました。資金的に余裕のある方は別としても2年間で再建が困難な方たちがみなし仮設から新しい住宅に移られるまでは、みなし期間延長問題を益城町、熊本県、国に要望していきたいと思っています。
 
特に県と国が予算をつけなければ延長は難しいと思いますので、皆様方も各地、各団体、各個人で賛同いただいて国、県に声を届けていただいて、必要な方々のみなし仮設延長に向けてご協力お願いします。

〜進む解体作業。その裏にある真実〜
 
ある訪問で、自宅の解体の話をされましたがとても印象的だったのでご紹介します。
 
ご自宅は全壊判定でした。写真を拝見したところ家自体は倒れてはいませんが、柱がくの字に曲がっていました。震災から4ヶ月位たった頃、役場から説明に来られ、「丁寧に解体します。」との説明でした。
 
しかしその数日後何の連絡もなく夜中に家が解体されました。夜中12過ぎに、自宅の近くに住む知人から家が解体されているという電話があったそうです。すぐに向かおうと思われたのですが、暗くすでに解体作業をしているから危ないので明日にしたらといわれ、朝早くに自宅に向かわれました。家が倒壊しておらず、家具など無事なものが沢山あったものの、屋根上から重機で取り壊ししたため何も取り出せませんでした。
 
ただぼう然と取り壊された家を見ることしかできませんでした。その後キリスト教教会関係のボランティアの方たちが壊された瓦礫の中から取り出せるものを出してくれたそうです。雨に濡れ、汚れながら一生懸命探してくれてとても感謝していると話されました。
 
行政の話では、道に面しており倒壊すると危険だからと言う事でした。しかし、解体までに4ヶ月もの期間があり数日前に面談までしているのにどうにか出来たのではないかと思い、対応の悪さに怒りを感じました。
 
何度かお会いして話をする中で、地域のコミュニティーから離れ寂しいのだろうと感じました。今できることとして、みなし仮設に入居する前にお世話になった方の連絡先を調べること。現入居地の近くに住む益城出身者を一緒に探しています。なんでも自分ひとりで頑張ってこられた方のプライドを邪魔しない形でお手伝いしていきたいと思います。

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